それも、大体人口の5割ほどの人に
当てはまるタイプの人間らしい。
しかも大体自分では気づいていなく、
俺は大丈夫!私は元気!健康!と
自信満々に思っていて、それで、
ある日突然、、、、という
悲劇のパターンになるらしい。
『え!?いきなり何ですか!
失礼ですね!死にやすいのは、
車に撥ねられやすいカタギさんでしょ!』
そんな声が聞こえてきそうだ。
確かに私も彼らに負けず劣らず
「死にやすい」タイプの人間であるが、
私の場合は物理的に死にやすいタイプなのだが、
彼らは、なんというか、
精神的に、死にやすいらしい。
怖いと思う。実に恐ろしい。
精神的な「死」とは
どういうことかと言うと、
一言で言うと、融解。
他人に、溶かされる、、
個人性も、アイデンティティも、
自分の長所も短所も、個人的な
感情や記憶や思い出や体験も、
全て自らではない、他の誰かに、
溶かされる、そして、消える。。
それが、精神的な死、
ということになるらしい。
恐ろしい話である。
考えたくもないし、信じられない。
と思う。私もそうだ。が、
事実としてセオリーとして、
統計的にも、それは存在する。
間違いなく、私たちの現実の中に。
以前、アンビバートについて、
書いたことがあったが、
その時は内向的な人間が、
どうやったらアンビバートに
なれるのか、どうやったら、
外向性を身に付けることができるのか、
そして、なぜ外向性を身につけなければ
いけないのか、話した。
で、その逆の外向的なヒトが、
どうしたらアンビバートを目指せるのか、
その具体的な手順や方法や、理由は
また今度書きます、と言っていた。
それを今回書こうと思っている。
そう、つまり、今回の
死にやすいタイプの人間とは、
「外向的」なタイプの人間である。
社交的で、いつも外を飛び回って、
色んな人と絡んで、話して、
発信しているタイプの人間。
疑問は当然お持ちになるでしょう。
どっちかというと、内向的人間の方が、
ウツとかになって、自殺しそうである。
でも、実際は真逆、らしい。
内気になって、自らの殻に閉じこもって、
それで
というのはまずい、というのは誰でも思うだろう。
が、外向的な人間が、内側にフォーカスしたほうがいい、
内気になって、部屋に閉じこもって、引きこもりみたいなことを
したらいい、というメッセージはレアで、あまりない。
だから彼らはかわいそう、なのかもしれない。
内向的な人間が、外向的になれ、というのは
結構メッセージとして社会に存在するので、
内向的な人間は死を免れているのかもしれない。
でも、その逆はあまり、ない。
だから危険なのである。
外向性に走りすぎると何がマズイのか。
外向的にふるまって、
人と多く絡むためには、
どうしても「自分のエゴ」を
自分より相手を優先させる必要性が出てくる、
そう、それは必要性だ。
相手と自分の価値観や考えが異なるとき、
自分のそれを優先させていたら、
スムーズに人間関係は構築できない。
ある程度妥協して、人に合わせる必要が出てくる。
それはもちろん素晴らしいことだ。
でもそれを突き詰めていってしまうと、
どんどんと、自分自身がなくなっていく。
他者、流行、社会、モラル、道徳、通念、
そういった自分以外の何かに
自分自身がどんどん浸食されていってしまう。
そして、ある日、外向性に走りすぎた人間は、
気が付くという。自分には、何もない、と。
最終的には、俺は何をしたいんだろう、
何を一体、この人生で達成してきたんだろう、
何になりたかったんだろう、
自分と他人の境界線があいまいになる。
結果、自分が、分からなくなる、
見えなくなる、それはとても恐ろしいことだ。
だから、彼らは籠るべきなのである。
彼らに必要なことは、ビジネスホテルとかの
一室を借りて、部屋にこもり、内観すること。
自分の心の声に耳を傾けること。
自分との対話の時間を積極的にもつこと。
これが極めて重要だ。
身ひとつで部屋にこもる。一日。
何も持って行ってはいけない。
パソコンも携帯もTVも雑誌も、だめだ。
静かに座禅を組んで、瞑想をする。
「俺は何になりたいのか」
「俺は本当は何を望んでいるのか」
「未来、俺はどうしたいのか」
社会的な観念だったり、他者の意見ではなく、
自分の奥底にある、本当の夢を探す。
そのためには、自分の心海に潜る、必要がある。
これを、社交的な人間は極端に嫌がる。
ひとりになって、孤独になって、
自分自身と一対一で向き合うのを、
極端に恐れる。
で、いつの間にか携帯でSNSを見ていたり、
TVを見ていたり、外に出ていたりする。
でも、それではいつか、
彼らは他人に溶かされてしまう。
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