2019年1月30日水曜日

ウトイ分野=あなたの魅力

あなたには疎い分野ってありますか?

人よりあまり知識や経験のない、
苦手な、ぶっちゃげよく分からない分野
ってありますか?

例えば、政治。
例えば、ファッション。
例えば、金融。
例えば、スポーツ。
例えば、料理。
例えば、法律。

色々あると思いますが、
特に際立って、一般人より、
「全然わからない」分野がある場合、

喜んでください、
それはかなり良いことだと思います。

「は?何言ってんの?ウトイ事なんて、かっこ悪いし、
馬鹿にされるし、話についていけなくて、仲間外れだよ!」

そんな感じに思われるかもしれません。
確かに、子どもの頃は、そんな感じで、

「おい、昨日のドラマ見た?サイコーだよな!」
「まじまじ、カッキーがさなりんに告白した所で
おいおいおいおい!って爆笑!」
「やーべーよなーあれは、お、カタギはどう思った?」
「(しまった、全く知らんぞ)...あ、あれなー、だよなー?」

という風に無理矢理にでも話を合わせておかないと、
仲間外れでイジメの憂き目にあっていた......
少なくとも、そうなるかも、という恐怖は
あったかもしれませんよね。

が、

子どもの世界と大人の世界は別次元です。

大人の世界では逆にそれが、
「カッコよい」魅力の要素になる、
そんな逆転現象が起こっているのです。

例えば私で言うと、ファッションとか、
美容とか、服とか、コーディネートとか、
そういう系は全くウトイですし、無知です。

その自覚はかなり昔からあります。

いつも左右、色の違う靴下を履いていたり、
全身黒づくめだったり、白づくめだったりで、
ファッションオタクの友人や彼女や母親を
呆れさせていたものです。(今もですが)

でも、それで恥をかいてきたか、と
言われるとそうでもなく、実は案外逆でした。

やはり完璧すぎる人間はどこか
近寄りがたい、というか隙がなさすぎて、
人間性を感じづらいというのはあると思います。

また、ウトイ、分からない、という言葉は、
どこか、真実性を感じます。

わざわざ嘘でカッコ悪いことを言わないと
思うので、その人が本当の事を言っている、
ちゃんと信頼して正直に自己開示してくれている、
と相手は感じるのかもしれません。

また、人は案外、おせっかいです。
母性本能があるというか、結構、
自分より下の人間に会うと、世話を焼きたくなります。

例えば私の場合、結構、

「服?ああ、全然わかんない!」

といつも服装の事を言及されると
そう堂々と公言していたので、
周りの連中は呆れ半分で、

「もう、しょうがないな」

という気持ちで色々と真剣に
アドバイスをしてくれました。

また、お下がりの服や、着なくなった服を
大量にくれた友人や先輩もいました。
かなり感謝してます。

これが強がって、

「服?ま、まあ、分かるよ、
それなりに?勉強してるし!」

と分からないくせに意地をはっていたら、
多分周りからは、

「あ、そうじゃあ勝手にすれば」

と見放されていたと思います。

また、ウトイ、と公言していると、
たまたま、神の偶然で、コーディネートが
ばっちり決まっていたり、

それから、運命のいたずらで
ナチュラルな寝ぐせがイマドキ
お洒落ヘアスタイルになっていたり、

そんなラッキーが私にもあります。

そういう時に、疎い分野、と公言していると、

「お、今日はコーデ頑張っているな!
すごいじゃん!イケメン!アイスおごってやるよ」

というようにかなり褒めて優しくしてくれるのです。

また、人は教えたがりです。

私もこれでも時々は人にコピーのこと
などを教えたりすることもあります。

で、

私もかなりの教えたがりなので、
気持ちはよく分かるのですが、

「先生、全然さっぱりわかりません~」

と素直に助言を仰ぐ生徒さんには、
ついつい、口が滑らかになって、

うっかり、かなり言わなくてもいいこと
まで言ってしまったりします。

師匠から長年の修行の末に賜った、
秘伝の奥義をついつい、素直な生徒さんに
ポロリとこぼしてしまったりするのです。

まあ、それはともかく。

あなたにも何か疎い分野があるはずです。

私の服の話と同様、
自分の疎い分野を認識する。

で、それを堂々と周りに公言する。

そうすると、、

かなり良いことが待っていますよ。

と、

今日はそういうお話でした。

ではまた。

2019年1月29日火曜日

勇気とアイスと高尚理論

それぞれの単語のコア、
それを正しく認識し、
ベストなタイミング、
ベストなシチュエーションで
そのワードを繰り出す、

これがコピーライターの正しい
あり方、最近そんな風に思っています。

「なんのこっちゃっ!?
のっけから、本当に意味不明!」

そんな風に混乱させてしまったかも
しれません、すみません。

ひとつ始めからお話しますね。

言葉ひとつひとつには、
たくさん意味がありますよね。

例えば、辞書を開いて、
「勇気」という単語を調べると、

:いさましい意気
:困難や危険を恐れない心。

などと出てきます。

ここで大体のイメージは掴めるわけですが、
それでもまだ、なんとなく薄ぼんやりしている、
そんな風に感じられませんでしょうか?

勇ましさ、とはどういう感じだろう、、
危険を恐れない、って、じゃあ、
危ない国に堂々と乗り込むのも勇気かな、、とか

結構抽象的な全体像のイメージを
伝えているにすぎない、ということに
気が付くと思います。

話が微妙に変わりますが、私は
昔から、広義、狭義、そして、語源。
これらの意味の言葉が大好きです。

それらが単語のコア、そしてそれぞれが
示すことのできる、可能性の円、それを
表現していると考えられるな、と思っていたからです。

つまり広義とは、ここまでなら
使用できますよ、単語の意味を適用できますよ、
という最大範囲の円。

狭義は、つめていったらここまで
狭くすることができるぜ、という円。

そして語源は、その単語の本質、コア。
もっている、価値観、最後にのこったもの。

これらを正しく認識する、それは
コピーライターとして、文章で人を動かす
プロフェッショナルとして、大事な部分では
ないかと常々思っています。

単語それぞれには、イメージ、価値観、
世界があります。

勿論それは受け取る私たちひとりひとり
にとっても異なりますが、
それでも、その単語の「コア」に
近くなればなるほど、
それは共通するのでは、と思っています。

例えば先ほどの勇気、で言うと、
他に「勇猛」、「蛮勇」、「大勇」、「義勇」
などなど、似た意味の言葉がたくさんあります。

そして、勇気、という言葉は
大勇も、義勇も、忠勇も、
占めることができると思います。

が、コアはそれぞれ別にあります。

いや、違いますね。

この場合は勇気は
大勇、忠勇、蛮勇の「代表語」で、
大勇以下がその派生語、とみるのが
正しい見方かもしれません。

あたまがこんがらがってきました。

だめですね。
マレーシア来て10日が過ぎ、
なんとなく難しいことを言おうとしても、
言語化できなくなってきました。

まずいです。

コピーライターのピンチです。

昼です。のんびりして、暖かいので、
アイスでも食べて公園でお昼寝でも
したくなってきました。

思考が働かない時に難しい理屈を
いおうとしても、あとで恥に思うだけです(実感済み)

ということで、高尚理論の続きは
日本に帰ってから書きます。

では、アイス食べてきます。

2019年1月28日月曜日

得意な感情、苦手な感情

カタギです、

あなたは得意な感情、ってありますか?

つまり、そのムードに入りやすい、
感情、ということです。

感情って言っても色々種類ありますよね。

嬉しい、悲しい、ムカつく、寂しい、
愛しい、楽しい、嫉妬、寂寞、郷愁、

もー数えきれないくらい多種類、存在します。

どの感情にあなたは入りやすく、
また、入りにくいですか?

ちょっと考えてみて下さい。

と言いますのも、人には得意な感情、
苦手な感情、というものがあると思うのです。

すぐ悲しくなる人もいれば、
怒ってばかりの人もいる。

いじけてばっかりの人もいれば、
人を妬むのがデフォルトの人もいる。

ちょっとあなたの周りを見渡してみてください。

常に悲しそうな顔をしている人も
いれば、その隣にいつも不機嫌な
人もいたりして、、

かなり面白いな、と思いますよね。

だからそう考えると、
うつ病の人はウツがデフォになっているのでしょう。

閑話休題。

ネガティブな感情で考えると、
やはり、「すぐ悲しむ派」と、
「すぐムカつく派」と2パターンに
分かれるそうです。

何かイヤな事があったら、
それがどういう種類のマイナスな感情でも、
怒るタイプの人間はカッカとし、
悲しむタイプの人間はああ、、と嘆く。

例えば嫉妬、例えば不安、
例えば恐怖、例えば寂寞、

例えば嫉妬心を感じた時、
そのジェラシーを直接感じるのではなくて、
怒りタイプだったら、怒りに
覆いかぶせて、その裏で嫉妬を感じる。

そんなメカニズム。
かなり興味深いです。

ちなみに私はどちらかというと、
すぐ怒るタイプの人間だと思います。

何か気に入らないことがあったら、
とにかく、まずムカついてしかめ面をします。

だから何が不味いのかというと、
イライラしているのに自分が慣れてしまって、
その状態をあまり気に留めない、と
いうことにあるのかもしれません。

本当にムカついているとき、
自分が憤りを感じているときは、
ちゃんとセルフケアをしないといけない、
のでしょう。

でも、そんな時でも、往々にして私は、
「ふむ、何か怒っているな、でも、
まあいつもの事だし、仕事!仕事!」
と特にケアをしないことがあります。

これはたぶん私の課題でしょう。

それから、ネガティブ方面以外でいうと、
興味や、好奇心も、私の得意な感情です。

常に周りやアイデアに興味津々、
なんにでもおっ、と思い、節操がない。

これも時には注意すべき部分があると思います。

本当の自分の興味、それを
見失う、その可能性がある、と思うのです。

得意な感情は、得意なので、
よく感じています、そして、その
ムードに入りがち、です。

だからこそ注意しなければなりません。

そして、もう一つ、苦手な感情。

これは、ここまでの話であなたも
気が付いている通り、そのムードに入りづらい、
まれにしか入らない、感情の事。

私で言うと、何でしょう、、、、

以外と、楽しい、という感情かもしれないですね。

実際、日常生活で、
楽しいな、と思うことはレアです。
というかほとんどありません。

「面白い」とか「興味深い」
ならよく分かるのですが、

「楽しい」と言われると、
う~ん、と唸ってしまいます。

他は、なんでしょう。。。

「悲しい」も、あんまり分からないですね。
正直な話。

悲しい、、、感じたこと、
あるのだろうか。

「寂しい」とか「ムカつく」
ならよく分かるのですが、

あんまり悲しいよ、、、と
思ったことが、、難しい。

悲しんで泣いた経験が、
あまりないのです。

でも、勿論私自身は経験しているはずなのでしょう。

悲しさも、楽しさも、胸の奥底に
あるはずです、ただ、それに気づいていないだけ。

あるいは、他の感情と、ごちゃまぜに
していたり、誤解しているだけ、なのでしょう。

そう考えると感情って不思議です。

これからもうちょっと感情に
ついて、深く、深く、学んでいきたいと思います。

あなたも、自分にとって、得意な感情はなんだろう。

また、逆に、苦手な感情はなんだろう。

ということを考えてみて下さい。

それではまた。



2019年1月27日日曜日

無集中クリエイティブ

あなたは、自分がどちらかと言うと、
クリエイティブな人間だと思いますか?

キッチリ細かく決めて
一歩一歩丁寧に着実にやるより、
その場の直観で自由気ままに生きるのが
好きですか?

YES、と答えるあなたに
おススメのグッズがあります。

それは、TODOリストです。
やることリストともいいますね。

そいつを毎日、朝起きて、
顔を洗ってから、習慣のように、
書くことを推薦します。

起床して、まず、今日一日の、
やる事、やるべき事、やりたい事を、
全て書き出すのです。

クリエイティブな人間は、
頭があっちこっちに飛びがちです。

すぐ色々なアイデアが浮かんで、
思考が散漫になってしまって、
集中が続きません。

そこで、Todoリストです。

私もかなりのクリエイティブ
タイプな人間です。

整理整頓が超苦手です。

黙っていると次から次へと
新しいアイデアが浮かんできて、
ひとつの事に集中できません。

仕事をしていても、

「あ、そうだ、こんなビジネスモデルが面白いかも」
「そうだ、次、こんなことをやってみよう」
「あ、いい仮説を思いついた、つまりということは、、」
「あ、そういえばあの人にメール返してなかった、」
「ふむ、ここでこうか、つまり、ブツブツ...」

などと色々な事を考えてしまって、
新しい事を思いついてはそっちに
気を取られ、手を広げ、色々な作業を
こなしているようにみえて、実際は、

全く何も終わっていない無為な一日。
を過ごすことになってしまっていた、
そんな残念なケースが多かったのです。

ですが、ある時友人から、
「Todoリストがいいぜ」
と聞いて、それから毎朝仕事を始める前に、
その日やるべき事をすべて書き出すことにしました。

すると、仕事が効率的に
終わらせられるようになれたのです。

多分、自分がコントロール
できるようになれたのです。

ひとつひとつのタスクにフォーカスできて、
そのタスクをこなしている間は、
他の事は考えない、そのタスクを完了させる、
その事だけに集中する。

で、そのタスクを終わらせた後の事も
考えなくていい。なぜなら、もう、
リストに書いてあるから、次やるべきことは
決まっている。だから、リラックスして、
集中して、自分の思考フォーカスを、
今、この、目の前のタスクに集結させる、

多分そういう状態になれるように
なったのでしょう。

それからは私はこの習慣を手放したことは
ありません。

今、日本を離れてマレーシアに来ていますが、
そこでも毎朝、ちゃんとやることリストを
つけています。

これだけ終わらせておけばOK、
と考えることができて、安心できます。

あなたも是非試してみてください。

あ、最後にもうひとつ、偉そうですが、
ワンポイントアドバイスがあります。

それは、大事なタスクを先にもってくること。

私たちは意思が弱いので、なるべく、
イヤな仕事は後回しにしてしまいます。

たとえそれが一番重要なタスクだと
分かっていても。

だからTo do リストを作っても面倒なタスクは
後回しにしてしまって、簡単にできることを、
バシバシこなしてチェックを入れて、それで、

「まあ、結構タスクこなしたオレ、
一日頑張った」

と思ってしまうのですが、これは
勿論まずいですよね。

実際のところ、一日私たちがやるべき仕事で、
本当に大切なものは1、2個しかありません。

私だったらコピーを書くとか、
収録の台本を作るとか、です。

でもそれは脳を酷使する疲れる
シンドイ作業です。

だから、どうしても後回しにしてしまいます。

だから、それを避けるため、
リストの最初の方にそれをもってくる。

で、それが終わるまで、他のことは
しない。これが最強です。

ぜひ実践してみてください。

2019年1月25日金曜日

ミスユニバースの抱擁


今、クアラルンプールに居ます。

なぜいるのか?と問われると、
答えはひとつ、仕事のためです。

別にクライアントに会ったり、
現地で何か商談があったり
営業があったりするわけでは
ありませんが、仕事のためです。

仕事上の物理的な事情で、
海外に来ているわけではないけど、
仕事のために東南アジアにいる?

疑問。
ありますよね。

人に話しても多くの人が
はてなマークを浮かべます。

今は1月後半。

日本は真冬です。

私は寒さに激弱いです。

死にたくなります。

そうです、答えは単純。

暖かいところの方が
仕事がはかどると考えて
東南アジアに来たのです。

シンプルな理由です。
でも多くの方があまり納得してくれません。
何故か。

大体、

「はん、リッチですね、セレブのつもりですか!」

とかそんなことを言われます。

でも考えてみるとわかるのですが、
ぶっちゃげお金はそんなにかかりません。

今回の私の場合だと、まず往復の
飛行機代がLCCなので、3万円いかないくらい。

宿がひと月契約で3万円。

食費は私は外食をあまりしないので
(海外に来ても)日本にいるより
おそらくかかっていません。

現地のスーパーで野菜や食材を
調達して適当に調理してます。

観光に来ているわけでもないので
ツアー代や入館料などもほぼゼロです。
勿論気が向いたら行くこともありますが、
まあ大体は朝起きて、仕事して、
お昼時に外に出て、散歩、買い物(食材)、
で、家に帰って、また仕事。夜は本。

そんな日本とあまり変わらない日常生活です。

ぜんぜんセレブ風味はありません。

旅行、というか住む場所を変えている、
という感じです。冬の間は。

以前の記事で、南国は熱すぎて
頭がぼーっとするから、実は
仕事には向かないかもしれない、
と書きました。

確かにそういう側面もありますが、
まあ、総合的に考えると、それでも
日本にいるよりは、マシな気がします。

なにより、体が動きます。
暖かいほうが断然体のキレがでます。

コピーライターに関係ないじゃないか!
と思われるかもですが、知的労働者も、
体のキレはかなり大事です。

まあ、それは置いておいて。

とにかくこれを読んでいるあなたが
オンラインビジネスとか、遠隔で仕事が
できる仕事、またはそれを許してくれる
職場であるのなら、

冬場に東南アジアにくるのは、おすすめです。

お金も全然かかりませんし、
暖かくプールや海で泳げますし、
食べ物もおいしいですし、
日本人には基本的に友好的ですし、
暮らしやすいです。

仕事して、疲れたら気晴らしに
観光したり美味しい料理を食べに
行ったりもできます。

東南アジアの女の子はかわいいですし、
日本人が西洋人にあこがれているように、
彼女たちは日本人に憧れているフシがありますので、
男性の方はそう言った部分でも嬉しいかもです。

私の行きつけのコワーキングプレイスの
受付嬢がミスユニバース・マレーシア2015の
女性なのですが、聞くところによると、
久しぶりに訪れたお客には親愛のハグをくれるそうです。

クアラルンプールでビジネスをしていた、
友人の永田君が言っていたので間違いありません。

ですので、最近はご無沙汰に、してます。
そのコワーキング。

もうちょっと日数を経たら、
再度顔を出してみます。

楽しみで、ある!

2019年1月24日木曜日

星の丘に登る


「名付け」は大事だと思う今日この頃です。

ネーミングひとつで印象がガラッと変わる、
ビジネスマンとして新商品のネーミングは
勿論、将来できる、自分の子どもにも、
できるだけ、いい名前をつけてあげたい、
そんな風に考え、日常を過ごしています。

ダイエットサプリの商品名が、
「おデブ撃退スーパーサプリ」より、
「スリム美人」の方が売れるだろうことは
もちろん、

自分の娘も「亀子」とか「豚美」とか
より、「佳織」とか「由紀子」の方が
明らかに美人で人気者になれそうです。

昨日は珍しくリッチな外食をしました。

KL(クアラルンプール)郊外、
中心部より車で10分、
人里離れた場所にポツンとある、
インドシナ系レストランの最高峰。

「タマリンドスプリングス」という
場所です。名前はもしかしたら
間違えているかもしれませんが、
まあそんな感じの名前でした。

ガクトさんご用達というこのお店。
名前の通り泉みたいなのが隣接して
あって、森の中、湖のせせらぎの
中食事をするような雰囲気を出してました。

デリシャスでした

一緒に食事をしたのはハワイで知り合って、
友人になった永田君と、そのお知り合いの方々。

謎の会社の社長さんや留学に来ている
高校生など奇妙で個性的な集団でした。

メンツの一人のハヤカワさんという方が、
ウエイターに片言の英語で、

「ビック・ビーフ!」

と繰り返していたら、頼んでないのに、
「ビーフン」が出てきたのには面喰いました。

かなりビックでした。

マレーシア人の英語力は侮れません。

ビーフ料理も出てきましたが、
こちらは小ぶりでした。

で、夕食を平らげて、バーに行きました。

クアラルンプールの繁華街の、
ブキッ・ビンタンというエリアです。

深夜2時を回っていましたが、
かなりひとごみであふれまだまだ
大盛り上がりでした。

ブキッ・ビンタンとは、
星の丘、というような意味。

その名の通り、光を失わない、
眠らぬ夜の饗宴が繰り広げられた
幻想的な地区でした。

ちなみに私の宿泊先の最寄エリアは、
ブキッ・ナナスといいます。

これはパイナップルの丘という意味。

昔はパイナップルがいっぱい
生えていたのでしょう。

星の丘に比べると、まるで栄えてません。

ハードロックカフェがあるくらいです。

やはり名前は大事なようですね。

深夜2時の星の丘

2019年1月23日水曜日

120円の誓い


ビジネスを始めたばかりの当初に、
先生から言われて、今でも心に
アツく残っている言葉があります。

「ビジネスは、1対1だ。」

というセリフです。

「大げさに考えるな」

こうも繰り返し叩き込まれました。

当時起業しようとしていた私は、
事務所はどうしようかな、オフィスの
チェアは、ロゴは、事業計画は、スーツは、、

などのかなりどうでもいいことを
グダグダ考えていました。

大規模にカッコよくパリッと
着飾ってブランド重視して
携帯電話3本片手に何十億を動かしている、
というビジネスのイメージがあったのです。

先生は教えてくれました。

まずは1人に売れ、と。
困っている人を1人助けることから、
スタートしろ、と。

そんなどうでも良いことを
グダグダ考えている暇があったら、
外に出ろ、と。

それで困っている人を見つけ、
彼の悩みを解決するんだ。

それで、お礼として、缶ジュースを
おごってもらいなさい。

それがビジネスなんだよ。

彼はそう教えてくれました。

稲妻でした。

衝撃でした。

かなり胸がハッとつかれた
感触を今でも、覚えています。

感動して泣きそうになりました。

「俺は今まで思い違いをしていた。」

そう気が付いた瞬間でした。

そうか、1人でいいんだ。
缶ジュース代で、いいんだ。

それができなくて、
目の前の人を救えなくて、
大きなことができるわけがない、

思い知らされた瞬間でした。

120円でいい。

まずは120円を稼ぐところから始める。
それはとても大事なことに思えました。

そして1対1.1体1で向き合う。

直に、お客さんの目を見て、
フェイス・トゥ・フェイスで
悩み、不安、夢を受け止め、

「私に任せてください。」

と、真摯に相手の目をまっすぐ見て、
心から誓う。

そして、その代価として、
120円をくれ、と堂々と照れずに
真っすぐ本気に伝える。

それができないで、ビジネスマンを
名乗ろうとしていたのが、
おこがましい行為だったのです。

だから私は今でもお客さんや
ビジネス上でかかわる人とは、
なるべく1対1で真摯に
向き合うようにしています。

それが当時本気になって
ビジネスを教えてくれた先生に対する礼儀。

120円の誓いです。

これを読んでいるあなたも、
私の中では立派な知り合いであり、
お客さんです。

今はまだ一方通行ではあります。

ですのでよかったらあなたの
ご意見もうかがいたいです。

今回のこのブログは相当
私が隠してきた様々なものを
暴露しています。

正直恥ずかしい気持ちもあります。

ぶっちゃげるとあまり
多くの方に読まれているのは
いやだ、という気持ちもあります。

でもビジネス、そして、人間関係は
1対1で本気で向き合う、と決めている、
そうあの日誓ったので、

そのポリシーに則って、言います。

私と1対1でガツンとやりましょう。

コメントをください。

明日は、またマレーシアの話に戻ります。
....たぶん。

2019年1月22日火曜日

タマンKLCCにて


暖かい日です。
ウトウトと、眠くなります。

タマン(公園)
KLCC(地名)にて。

私はぼーっとしております。

火曜日のお昼時。
人も少ないです。

ドでかい公園です。

マレー系や中国系の人より、
やはり欧米系の連中が多い気がします。

タンクトップの白人連中が
うろうろしているので、

なんとなく東南アジアにいる
というよりハワイとかにいる
感じのほうが強いです。

やはり欧米人はどこへ行っても
公園大好きっこ。公園にたむろってますね。

日本でも上野公園とか日比谷公園とかに
縄張りを構えているイメージです。

公園は彼らの聖地、
ソウル・プレイスなのでしょう。

タマンKLCCの傍には、
これまたドでかい、
スリアKLCCという巨大な
ショッピングモールがあります。

伊勢丹やユニクロや、
紀伊国屋書店も入っています。

そちらはいつも超混んでます。

日本人と同じく、
クアラルンプール人も
ショッピングが大好きなようです。

現にクアラルンプールには
ドでかいショッピングモールが
たくさんあります。

しかも相当愛されているのか、
それぞれのモールに、「愛称」まで
付けられているのです。

”パビリオン”、”ファーレンハイト”
”プラザ・LowYat”、”SOGO”、”ウェルド”
"Great Easter"、"クイルシティ"、、、

なかなかの溺愛っぷりです。

彼らがかなりショッピングモールを
愛していることが分かります。

KL(クアラルンプール)民の
聖地(ソウル・プレイス)は、
ショッピングモール、、、

多分それで間違いないでしょう。

KL民、というか、アジア人全般が
そうかもしれません。

日本でもビックロとか秋葉原とか
ドでかい商業施設やタウンに
アジア人がガっと押し寄せてる感じです。

......

なんとなくここまで思って、
不安になってきました。

私も無論アジアの民です。

正真正銘、純粋培養の
江戸っ子、純血100%です(多分)

古来から続く和の心、
サムライ魂を受け継ぐ日本人です。

が、ぶっちゃげあまり
ショッピングに興味がないです。

昔から。
なぜでしょう。

公園の方が3千倍すきです。

もしかしたら、、
私は日本生まれではない、、、??

....

んなわけないですね。

さて、家に戻ります。

ちなみに、タマンKLCCの隣に
ショッピングモールがあって、
更にその隣にはKLCC水族館という、
なぞの水族館があります。

妙な形の建物で、なんとなく、
シドニーのオペラハウスっぽいです。

見ると、結構浅黒いひとたちが
周りをうろついています。

おそらくタミル系とか
インド系とかの方々でしょう。

公園には欧米系。
モールにはアジア系。
水族館にはインド系。

..もしや、インド人の
聖地は水族館!?

....

んなわけないですね。

昼下がりで頭がポヤポヤしてきたので、
思考が妙な方に飛び始めました。

帰ってシャワー浴びて、
コーヒー飲んでお昼寝します。

ではまた。

クアラルンプール民やすらぎの場

2019年1月21日月曜日

懐かしいヒト


あなたにとって、一番、
「懐かしい」と感じる人は誰ですか?

幼少期の親友の友達でしょうか?
昔の恋人でしょうか?
学生時代の恩師でしょうか?
小さいころ好きだったおばあちゃんでしょうか?

それとも、、、

過去のあなた自身ですか?

私は過去を思い出すのが得意ではありません。

過去の思い出のアルバムは、
配列がバラバラで、整理されておらず、
支離滅裂で、想起できる情景も
薄ぼんやりしてセピア色。

記憶を想起する私自身、
過去の現象にリアリティを感じることはできず、
臨場感のない思い出で私の記憶フォルダは
埋め尽くされています。

本当に自分が経験したのかさえ、
強く断言できず、誰かが過去の
私との思い出を語るとき、

なんとなく「異質」で、
「不可解」な感情が沸き起こるのです。

懐かしいなぁ。

そんな風な気持ちを私は、
全然抱かない、抱けないのです。

そのことに、最近ようやく、
気が付けました。

あなたは、日々の生活の中で、
「懐かしい」という想いに浸る
瞬間はありますか?また、
それはどんな時ですか?

私の友人のひとりは、
ノスタルジックな気持ちに
なるとき、何とも言えない、
「幸せ」な気持ちになるといいます。

うらやましいです。

特に、

過去好きだった初恋の相手、
お世話になった上司、先輩、
急逝してしまった義理のお兄さん、

そして、昔の彼自身について、
思い出すとき、思いをはせるとき、

何とも言えない多幸感に
包まれるといいます。

懐かしい人のことを想う、

それだけでモチベーションが
マックスになり、やる気が出て、
日々前向きに頑張ろう!と
思えるようになるそうです。

すごい事です。

すごい能力で、
すごい才能だと思います。

あなたはどうですか?

彼のような、そんな力、
ありますでしょうか?

なぜそんなことをお聞きするかといいますと、
私もできることなら、ゲットしたいからです。

そんなスペシャルパワーを。

懐かしいヒトの事を思い出す、

そのトリガーで、グッと力を
チャージでき、ダイナミックに
人生を生きることができる。。

そんなことが私にもできたら、、
と羨望の気持ちがあるのです。

だから、願わくば、ヒントをください。

あなたが「懐かしい誰か」を
想うとき、どういう気持ちになるのか。

それを今回の記事の
コメント欄に書いてほしいのです。

懐かしい人を想うとき、
そこにとてつもないパワーが
生じる、そのメカニズム。

それを私は解明したいと、願っております。

2019年1月20日日曜日

南国ジレンマ

ジレンマを抱えている。

東南アジアのIT先進国、
マレーシアの首都、
クアラルンプールに着いてはや3日。

私はなんとも言いようがない、
フラストレーションを抱えている。

その出所をたどると、私がなぜこの
国にやってきたのかの理由に遡る。

今現在日本は1月で、真冬だ。
だから、私はこの時期にポイントを当てて、
南国のマレーシアにやってきた。

仕事中心人間の私の目的は、
当然仕事をはかどらせるためである。

日本は今寒すぎる。

寒い日本を離れて、暖かい国へ行けば、
仕事もガンガン進むのだろうと考えたのだ。

が、

その考えはあんまり正しくなかったようだ。

マレーシアは確かに暑い。
というかあったかい。
ぽかぽか陽気ですぐ眠くなる。

だから、逆に頭が働かなくなる。

なんとなく、どうでもいいかな、
と感じてしまうのだ。

沖縄に行くと、なんくるないさ!と
色んなことを気にしなくなるのと似ている。

暖かい地方に行くと、結果、
あまり、仕事をしなくなる。

確かに、そう考えてみると、
暖かい地方の連中はあまり働かないし、
あまり難しい事を考えない。

かなり生き方がテキトーである。

逆に北欧とかドイツとかカナダとか
ロシアとかワシントン州あたりは、
難しい顔して哲学をつぶやいている人間が多い。

だから仕事を能率的に、効率的に進めるため、
タスクをバシバシ完了させるため、
マレーシアにやってきた私は、完全に、

「しまった、ミスった、」

というわけで残念な感じである。

勿論寒くて凍えているよりは
良い部分もあるが、それでも、
なんとなく寒い埼玉で震えながら
仕事していた時のほうが、

いいアイデアは出ていた気がする。

結論、南国へは、仕事しには来るな。
ということになる。

バカンスや遊びに来たり、
リラックスしてまったりするために
来るのは良いと思う。

が、仕事は進まないものと
思った方がいいらしい。

つらい。話が違うじゃないか、
そんな私の嘆きも後の祭りである。

「でもカタギさん、だったら、カフェに行ったり、
コワーキングで仕事すればいいんじゃない?」

そんな意見もあるだろう。

勿論私もそう考えて実行に移した。

で、、、タイトルである。

「南国ジレンマ」。

どういうことかというと、
逆に今度は中は寒すぎる、ということ。

クアラルンプール在住の
日本人の方が言っていたが、

「こっちの人は寒ければ
寒いほどいいと勘違いしている」

らしい。

映画館に入っても1時間ももたない、
らしい。寒すぎて。

外にいると眠くなる。
中に入ると寒すぎる。

まさに、ジレンマである。
どうしろと。

結局、「それでもその方が頭は働くので」
寒い中で仕事をしている私である。

寒さを逃れてマレーシアに来て、
結局寒い中で仕事をする、という
謎の自分に大いなるジレンマ、
そしてフラストレーション、を
感じている今日この頃である。

再度結論、

「南国へは遊びに来ようね♪」

2019年1月19日土曜日

人に「融ける」社交家

死にやすいタイプの人間がいるそうだ。

それも、大体人口の5割ほどの人に
当てはまるタイプの人間らしい。

しかも大体自分では気づいていなく、
俺は大丈夫!私は元気!健康!と
自信満々に思っていて、それで、

ある日突然、、、、という
悲劇のパターンになるらしい。

『え!?いきなり何ですか!
失礼ですね!死にやすいのは、
車に撥ねられやすいカタギさんでしょ!』

そんな声が聞こえてきそうだ。

確かに私も彼らに負けず劣らず
「死にやすい」タイプの人間であるが、
私の場合は物理的に死にやすいタイプなのだが、
彼らは、なんというか、

精神的に、死にやすいらしい。
怖いと思う。実に恐ろしい。

精神的な「死」とは
どういうことかと言うと、

一言で言うと、融解。

他人に、溶かされる、、

個人性も、アイデンティティも、
自分の長所も短所も、個人的な
感情や記憶や思い出や体験も、

全て自らではない、他の誰かに、
溶かされる、そして、消える。。

それが、精神的な死、
ということになるらしい。

恐ろしい話である。
考えたくもないし、信じられない。
と思う。私もそうだ。が、
事実としてセオリーとして、
統計的にも、それは存在する。

間違いなく、私たちの現実の中に。

以前、アンビバートについて、
書いたことがあったが、

その時は内向的な人間が、
どうやったらアンビバートに
なれるのか、どうやったら、

外向性を身に付けることができるのか、
そして、なぜ外向性を身につけなければ
いけないのか、話した。

で、その逆の外向的なヒトが、
どうしたらアンビバートを目指せるのか、
その具体的な手順や方法や、理由は
また今度書きます、と言っていた。

それを今回書こうと思っている。

そう、つまり、今回の
死にやすいタイプの人間とは、
「外向的」なタイプの人間である。

社交的で、いつも外を飛び回って、
色んな人と絡んで、話して、
発信しているタイプの人間。

疑問は当然お持ちになるでしょう。

どっちかというと、内向的人間の方が、
ウツとかになって、自殺しそうである。

でも、実際は真逆、らしい。




内気になって、自らの殻に閉じこもって、
それで
というのはまずい、というのは誰でも思うだろう。

が、外向的な人間が、内側にフォーカスしたほうがいい、
内気になって、部屋に閉じこもって、引きこもりみたいなことを
したらいい、というメッセージはレアで、あまりない。

だから彼らはかわいそう、なのかもしれない。
内向的な人間が、外向的になれ、というのは
結構メッセージとして社会に存在するので、
内向的な人間は死を免れているのかもしれない。

でも、その逆はあまり、ない。

だから危険なのである。

外向性に走りすぎると何がマズイのか。

外向的にふるまって、
人と多く絡むためには、
どうしても「自分のエゴ」を

自分より相手を優先させる必要性が出てくる、
そう、それは必要性だ。
相手と自分の価値観や考えが異なるとき、
自分のそれを優先させていたら、
スムーズに人間関係は構築できない。

ある程度妥協して、人に合わせる必要が出てくる。

それはもちろん素晴らしいことだ。

でもそれを突き詰めていってしまうと、
どんどんと、自分自身がなくなっていく。
他者、流行、社会、モラル、道徳、通念、
そういった自分以外の何かに
自分自身がどんどん浸食されていってしまう。

そして、ある日、外向性に走りすぎた人間は、
気が付くという。自分には、何もない、と。

最終的には、俺は何をしたいんだろう、
何を一体、この人生で達成してきたんだろう、
何になりたかったんだろう、

自分と他人の境界線があいまいになる。
結果、自分が、分からなくなる、
見えなくなる、それはとても恐ろしいことだ。

だから、彼らは籠るべきなのである。

彼らに必要なことは、ビジネスホテルとかの
一室を借りて、部屋にこもり、内観すること。

自分の心の声に耳を傾けること。
自分との対話の時間を積極的にもつこと。
これが極めて重要だ。

身ひとつで部屋にこもる。一日。
何も持って行ってはいけない。
パソコンも携帯もTVも雑誌も、だめだ。

静かに座禅を組んで、瞑想をする。

「俺は何になりたいのか」
「俺は本当は何を望んでいるのか」
「未来、俺はどうしたいのか」

社会的な観念だったり、他者の意見ではなく、
自分の奥底にある、本当の夢を探す。

そのためには、自分の心海に潜る、必要がある。

これを、社交的な人間は極端に嫌がる。

ひとりになって、孤独になって、
自分自身と一対一で向き合うのを、
極端に恐れる。

で、いつの間にか携帯でSNSを見ていたり、
TVを見ていたり、外に出ていたりする。

でも、それではいつか、
彼らは他人に溶かされてしまう。

2019年1月18日金曜日

クアラルンプールに散る

爺くさい趣味がある。

散歩だ。

道を歩くのが、好きなのである。

道をあてどもなく歩きながら、
取り留め考え事をするのが好きだ。

自分の両足で、大地を踏みしめながら、
一歩、一歩、のっし、のっし、と
大気を切り開きながら、前へ、前へ、
体を押し出していく時、

なんとなく「生きている」実感を
感じ取ることができる。

体感できている感触がする。

乗り物を使うと、この感触は薄れる。

バス、タクシー、車、電車は
あまり好きではなく、やはり徒歩が好きだ。

昨日からマレーシアに来ている。

海外でもどこでも、私の主な
交通手段は、自分の両足だ。

地図を片手に、歩く。
迷った時は人に聞く。

今回の旅も、それは変わらない。
今回も、相当迷った。

クアラルンプールは初めて訪れる。

実は一回、中学2年生の時に、NZに行く
トランジットで、空港には往復合計で、
1日分くらいの時間は滞在した経験があるが、
ちゃんと入国するのは初めてであるマレーシア。

海外ではSIMを使ったり、モバイルWi-Fiを
使うって携帯で通信手段を確保するのが安全で
一般的だが、私はそれを嫌う。

その場合、当然、トラブルや迷った時が心配だが、
人に聞いたり自分で考えればなんとなか
なると実際の経験から思っている。

だから今回もその線で行った。
が、結果は相当苦労したのである。

マレーシア、道がない。
正確に言うと、歩道がない。

道を聞いて、この道を進め、と
言われても、歩道はないのであるから
びっくりである。

車がビュンビュン高速で走りまくっている
ハイウェイを進め、と言われても流石に
それは、、、と思ってしまう。

市内はさすがに歩道があるが、
それもかなり狭い。また、ビルの中を
潜り抜けたり、駐車場を潜り抜けて
進まないといけない箇所も多い。

実にガッデムである。
散歩狂の自分にはもうちょっと
歩きやすい道が、、、と思ってしまう。

バイクや車が走る道を潜り抜けながら
進んでいかなければいけないので、
考え事もままならない。つらい。

でも考えてみれば東南アジアの都市部は
みなこんな感じでカオスである。

プノンペンやジャカルタの道で
ぼーっと考え事をしながら歩いていて、
何度も轢かれそうになって死にかけたこともある。

今回も注意しないと滞在中に死ぬかもしれない。

というかその危険性は高い。

日本でさえ何度もはねられたり、
轢かれそうになった経験をもつ
自分である。

今回も間違いなく、少なくとも、
交通事故や、交通事故未遂、
衝突未遂事件にはたびたび見舞われるだろう。

ひょっとしたらこの1月の命かもしれない。

男、カタギ、マレーシアに散る。
詩になる?んなわけない。ダサい。

くれぐれも注意しようと思う。

ホテル前の道

2019年1月16日水曜日

アンビバートへの道

最近私が「おお」と思った言葉で、
アンビバート、という概念がある。

心理学では人間には色々な性格が
あって、あらゆるアングルから
個人の性質をタイプ分けできる、と語る。

その中のひとつに内向的、そして
外向的、という分け方がある。

私の記憶が正しければ確かユングさんが
初めて提唱した概念だったはずだ。

「知ってますよ!内向的はシャイで
外向的は明るい人の事でしょ!?」

そう。結構日常会話でも、

「ほんとあの子は内気で内向的で...」

と一般的に使われたりもするので、
基本的なイメージは多くの人も
了解の所だと思う。

ただ、注意しないといけないのは、
「外向的」は、「外交的」とは別だ。

外交的は、明るい、社交的、という
意味で間違っていないが、外向的は、
重なる部分もあるが、基本的には
全く別の意味の言葉である。

外向、というのはエネルギーの流れだ。

エネルギーが外に向いている、
ということである。

逆に内向は内側に向いている。

エネルギーを「注意」と言い換えて
みても、良いかも知れない

その人の注意が基本的に内側に
向くことが多いか、外側に向くことが多いか。

だから、その人のキャラクターが明るい、
暗い、という面だけで判断しようとすると、
誤認や誤解が増える。

まあそれも踏まえてカンタンに
内向的人間、外向的人間の特徴を
説明してみると、

内向的人間は、静かで、おとなしく、
基本的に一人でいるのを好む。その方が楽なのだ。
人と群れてばかりいると気疲れをして、
なんとかして一人の時間を確保したくなってくる。

逆に外向的人間は一人を嫌う。他人とカラむのが
好きで、出来るだけ他人と一緒にいたいと思う。
皆といるほうが元気が出てくるのだ。
孤独の状態が嫌いで一人でいたらさみしくなって
どんどん元気がなくなってくるタイプだ。

やたら内向、外向の話が長くなってしまったが、
今回のお題はアンビバートだ。

で、このアンビバートってなんですか?
って疑問があると思うが、

これは要するに内向、外向の中間。

両方の性質をもったバランスの
とれた人間、という事、らしい。

パーティー会場など、外向的に振る舞うべき
場面では外向的に苦もなく振る舞えるし、
一人で黙々と作業をしなければ行けない場面では、
内向的100%になって着実に孤独に
作業を終わらせることができる。

友達もコネも多く、たくさんの素敵な人たちから
尊敬、信頼されており、なおかつ自分の
確固たる軸を心の芯にもち、社会、メディア、流行、
他人に振り回されない自分の信念に従い生きている。

そんなパーフェクトな人格者がアンビバートだ。

アンビバートは生まれつきの人もいるが、
多くは後天的になれるようである。

つまり、生まれつき内向的な人は、
外向的な要素を身につける、
そして、外向的な人は、内向的な要素を
強化する、そのことによって
アンビバートに近づける、らしい。

つまりアンビバートになる方法は、
内向、外向、で全く真逆のアプローチになる。

もちろん私も全てが完璧の
スーパーマンになりたいので、
当然アンビバートを目指している。

が、まだ全然ダメである。

勿論私はシャイで内気で根暗で友達ゼロの
超内向的人間なので、私の課題は、
外向性を身につけることである。

つい、内側にこもって、悶々と
取り留めのない思考の迷路に入って
一人喜々として抽象的なパズルを楽しむ。
ということを往々にしてしてしまう。

悪癖である。外向性を身につけねばならない。

外向性とは、文字通り、外側に向かって行く力。

外側の現実、現象、世界に注意を向ける力。

だから私が行うべきことは、
内側の自分の考え、自分の感情、
自分の感覚、自分の直感などに
注意を向けるのではなく、

外側の世界になにがあるのか、を
もっとよく知って理解することである。

色んな街を歩いてみる。
色んな絵を見てみる。
色んな人と絡んでみる。
色んな経験を積んでみる。
色んな果物を食べてみる。
色んな花の匂いを嗅いで見る。

そういったことが必要だ。

要するに外に出て、人と絡め、
ということである。

これが課題。そう苦手なのである。
不得手だし、めんどくさい、と思ってしまう。

が、自分の感情は
無視してやらねばならない。

だから私がよくやることは、旅行だ。
そして人と絡む必要のある
旅行を計画するのである。

ただ旅に出るだけでは私は
ひとりで当てどもなくさまよう、
傾向にある。それが好きなのだ。

でもそれでは外向性はあまり、
磨かれない。だから人と絡む必要性を
強制的にもたせる、、

例えば、明日から私はマレーシアに行くのだが、
今回は宿を旅館でもエアビーでも
ビジネスホテルでもドミトリーでもなく、
シェアハウスにすることにした。

個室はないそうなので、
よって一人の時間は多分あまり
とれないし、他人と常に絡む
必要があるだろう。

ぶっちゃけかなり嫌である。
めんどくさい。胃が切り切りする。

でもこれだと強制的に外向性を
育てるしかなくなるので、
アンビバートを目指す方法としては
かなりいい方法である。嫌だが。

さて、

長くなってしまったので、外向的な人が
アンビバートを目指す具体的な方法や
手段については、明日の記事で書こうと思う。

今回の内容、かなり大事だと、私は認識している。

あなたも是非何か参考になる部分があれば、
実生活に取り入れてみてほしい。

とにかく明日から私は1月くらい
クアラルンプールで過ごす。

海外旅行の最中は外向性の訓練として、
たくさんの人間と義務のように絡む、
と決めているので、もう、自分の世界には
あまり来れないだろう。せつない。

でもこれもパーフェクツ人間になるための道。
これで、いいのである。

アンビバートへの道。

王者へのビクトリーロード。

黄金だぜ。輝いて見えるぜ。

今日から俺は外向的だぜ!!!!
楽勝だぜ!!

......。

そう書いていたのだが、
また何かイヤな気持ちになってきた。

もう既に及び腰である。

日本の田舎でお気に入りの本でも
読みながら日向ぼっこして
コーヒーでも飲んでたい。

ああ、、早く帰りたい。。

それが私の私の中にある本音である。
おそらく。

アンビバートへの道はまだ、遠い。

2019年1月15日火曜日

髪とイマジネーション

髪は創造性を高める。

長髪の人間のほうが
クリエイティビティを発揮できる。

髪にも感覚があり、昆虫の触角の
ように、髪が長い方が高い認知力を
発揮でき、イマジネーションが高まる。

だからクリエイティブな仕事を
している人間は、髪はなるべく
切らず、伸ばし続けた方がいい。

眉唾ものの話だが、
そんな理論を読んだことがある。

確かに稀代の芸術家や学者、
アーティストや工芸者などは、
ロン毛の人物がやたらと多い。

スポーツ選手のように短く刈り込んだ
大芸術家や大作曲家の肖像は
あまり見たことがない気がする。

ただ、実際のところはどうだろう?

関係あるのだろうか?

あまりピンときていない。

ただ、自分も本当に魂のこもった
コピーを書いていたり、根詰めて
仕事をしているときは髪は切らず、
伸ばしている方が多い気もする。

で、

大きなプロジェクトが完了したり、
大切なセールスレターが完成したり、
そういった「区切り」で髪を切りに
行くことが多いというのは、ある。

ボウズのように髪が短い時より、
目を覆うくらいの前髪が有る時のほうが、
確かに、なんとなく、直感的というか、
神秘的な「何か」に触れることができ、
繊細な表現力の高い文章が書けている気が、
言われてみれば、まあ、、、する。

私の過去のコピーや広告や日記や
ブログやメモ書きや友人とのメール
などを洗いざらい見返してみても、

確かに、違いは発見できる。

髪をガッツリCUTしてキラーンと
さっぱり爽やか系男子になってしまうと、
なんとなく、繊細というか緻密というか、
そういった艶やかな文は書けず、

「綺麗な女の子がいた、カワイイ!」

とか、

「ゴハン美味しい!ビール美味い!」

とか、

そういうストレートで単純な文を
書くようになる傾向が強い、
というのは傾向として発見できる。

そんなに絶対的な要素ではないが、
傾向性としては確かに
存在するかもしれない。

でもそうすると基本的に男性より
髪が長い女性は基本的に男性より
クリエイティビティがある、と
いえるのだろうか、とか。

髪の毛だけではなく、ヒゲや
すね毛とかまつげとか他の毛は
関係はないのだろうか、とか。

良く失恋すると髪を切る女性がいるが、
あれは創造性という名の深み(鬱)
から脱却するために触角を刈る、という
海よりも深い理由があっての行動
だったのだろうか、とか。

考えてみると面白い。

今日も髪を切ってきた。

で、頭が軽くなった。

結構伸ばしていたのだ。

実は5ヶ月ぶりくらいの散髪で、
美容師のニイサンも、

「やたら切りましたよ」

とやり切った男の顔を浮かべていた。

で、創造性がGONEしたか、
と考えてみるとどうだろう。。

あまり変わらない気がする。

こんな感じでいつもどおり
理屈が通っているようでいない
ヘンテコなブログを書いているので、
通常のオレモードで変哲もなさそうだ。

頭の毛が大量になくなったので、
頭部の重量が軽くなって、それで、
創造性、というか脳の密度?が
減った気はする。そんな気はする。

なんとなく、短髪に変身した瞬間、
お腹がぐ~って鳴って空腹を
感じた気がするし、

美容院から、家への徒歩5分の帰り道
にも、美貌のマダム(多分普通のオバちゃん)
にも意識をフラフラと奪われかけた気もする。

髪を切ると「メシ」と「ガール」に
弱くなるかもしれない、というマイ理論は
高確度で適応できるかもしれない。

ただ自分だけの場合かもしれない。

で、聞いてみた。

何処でもマイペースな私は当然
担当してくれた美容師のおしゃれだけど
小太りのニイサンにもこの、

「髪と創造性」

の理論を一席ぶってみた。

彼は妙な顔をして私が得意げに
話すのを客商売だから仕方なし、
という感じで聞いていたが、最後には、

「ですね~短い方が視界がひらけて、
頑張ろう!って感じになれますよね~」

と私の話をまとめてくれた。

彼のおっしゃる通りである。

ウダウダ理屈こね回してるヒマがあったら、
やるべきことを真面目にこなす。

とりあえず仕事をガンガン頑張ればOK。

髪が短かろうが、長かろうが、
モーマンタイ。

私は今日もコピーを書く。

書き続ける。

2019年1月14日月曜日

浦和の不審者

本が好きだ。

本を読む時間が好きだ。

一日の中で好きな時間は色々あるが、
その中でも、特に、
読書している時が本当に楽しく感じる。

とりわけ、

12時とか13時とか、昼間、
太陽が窓から暖かい日差しをさしている頃、

ソファに座って珈琲でも飲みながら、
お気に入りの本をパラパラめくる時間が
私にとって、一日の中で最もリラックス
できて、なおかつ幸福な時間である。

ポカポカなのである。
まったりできる。
更にコーヒーも上手い。
最高である。

本は私を夢中にさせ、
新しい価値観、
新しい現実、
新しい捉え方、
新しい世界へと私を誘う。

読書は私にとっては高度なパズル
よりも奥が深い知的運動であり、

ただひたすら、没頭でき、筆者の
言いたいことが深く理解できた時は、
言いようのない満足感を感じる。

小説も好きだが、私が特に好んで
読むのは何らかの分野の専門書である。

その道のプロが書いた内容は、
どのカテゴリーでも興味深く、
大変勉強になる話が多い。

10年、20年、30年、
ひとつの分野を探求している
専門家は私のような一般人には
到底見えないその分野の真理を
理解し、見通していることが多い。

彼らの言葉は単純に興味深いだけではなく、
私の仕事にとっても、人生にとっても、
大きな気付きをあたえてくれるのだ。

他の人がどういう感じで読書体験を
楽しんでいるのかはわからないが、
私は読書は”先生に教えを受けている”

という意識が最も近い。

師匠の前に正座をして一から
叩き込まれているイメージだ。

だから暖かな日差しの下で、
コーヒーを横において、本を
広げる時、私は先生に
電話をするような気分になる。

「また、あの話を教えて下さい。」

というセリフを頭の中で再生し、
本のページを開く。

それで彼の話をフムフム、と
聞き始める。そんな感じだ。

私の本の趣味は相当幅広く、
多種多様、手当たり次第、
無頓着で、卑しく統一性がない。

どんなカテゴリーの本でも読む。

私はコピーライターを生業としているので、
おそらく私の専門分野的には、

「文章術」「ビジネス」「セールス」
「広告」「心理学」「マーケティング」

辺りが専門カテゴリになるのだろう。

が、この辺りの分野の本は
もうあらかた読み尽くしてしまったので、
最近はご無沙汰している。

最近ハマっている分野は、歴史であり、
化学であり、美術であり、法律だったりする。

あと、子どもの教育とか、赤ちゃんの
言語(ベイビーサイン)とか
そういった辺りも最近蔵書に追加してきている。

そんな雑多に読む理由は別に
物知り博士になりたいわけでも、
知識を蓄えてコレクトしたいわけでもない。

ただ単純に楽しいからだ。
知的好奇心が満たされるのである。

あと、自分の考えを精錬したい、
というのもある。

色んな分野で色んな角度から様々な
気付きを得ることで、私のコピーも
文章も、セールスも向上するのは
間違いがない。と信じている。

本は購入するのが好きだ。

が、図書館も大好きで今の賃貸アパートに
居住を決めたのも、図書館が近かったから、
というくらい好きである。

図書館は毎週行って、10冊くらい借りて、
というのをずっと繰り返している。

私は埼玉県在住なのだが、最近市内の
図書館では飽き足らず、浦和の県内最大規模の
中央図書館にも頻繁に出没して、怪しげに
本を求めてウロツイている。

もしあなたが浦和駅前の図書館で
ウロウロしている怪しげな人影を
発見したら、おそらく私である。
そっとしておいてほしい。

もちろん、

「カタギさんですよね?
ブログ読んでます!」

と声を書けてくれれば嬉しいのだが、
基本シャイで恥ずかしがりなので、

多分照れて「オウヨ」とだけ
カッコつけてそそくさと
去っていく気がしてならない。

かなりダサいと思う。

絶対に声はかけないでほしい。

2019年1月13日日曜日

高級ホテルで買える愛

数年目、2つ年下の従姉妹が結婚した。

お相手の旦那さんは、私とタメで、
某病院勤務の真面目な青年だそうだ。

実は私は何度か会ったことがある、
(イトコによると)

が、ぶっちゃけ全く覚えていないので、
奇天烈で風変わりな人物ではなく、
社会に溶け込んでいる
正統派な男性なのだろう。

が、

その旦那さん、あまり彼女の両親の
評判は芳しくない、ようだ。

真面目で礼儀正しい好青年なのだろうが、
叔母(彼女の母)がいつも私に愚痴っぽく
こぼすのは、とにかく、

「頼りない」

という言葉だ。もうちょっと
男らしくなってほしい、そうである。

マイ従姉妹が容姿はともかく、性格は
かなり男気あふれるキャラクターなので、
いつも彼は妻や義理の母から命じられて
へえへえ言いながら方々を飛び回っているそうだ。

人の家庭の事や親戚とは言え他人の事を
グダグダゴシップ臭くこんな所で長々語るのは
野暮でダサいし失礼な行為だと思うので、
この辺でやめにするが、

最近こんなカップルが多いような気がする。

男性は女々しく、ヘナヘナして、どこか、弱い。。

女性は無表情でビシッとして常に苛ついていて、
なんとなく、可愛げがない。

「性」のカテゴリーから抜け出して、
どちらの性も中性になろうとしている。

イクメン、といって家事や子育てに
情熱を燃やす男性が増え、キャリア!
と息巻いてビジネスにひたむきに
命の灯を燃やす女性が急増している。

私的にはかなり心配になる時代だ。

古臭い考えと思われるかもしれないが、
男性はバリバリ働いてお金を稼ぎ、食料を確保して、
知識をつけ、外側と闘い、いざというときは
全ての責任を取る覚悟をまとい、
経済面、資産面、外的抑圧から家族を守る。

女性は子供を産み、育て、家庭の人間関係を
円滑にし、家事をこなし、住心地が良い空間を
作り、旦那と子供たちを愛と癒やしのPOWERで守る。

この役割分担が自然で、ナチュラルで、
持って生まれた私達の性の役割に従った、
本能に即した無理のない生き方だと思うのだ。

こんなことを書いていると、

「男女差別!」
「男尊女卑!」
「昭和の男!」
「女のテキ!」

と罵られるかもしれない。

が、ちょっと待ってほしい。

そしてゆっくり見てほしい。

そうやって男尊女卑を謳い、
男女同権を願う男性女性で、
すごく幸せに人生を謳歌している人は
はたしてどれくらいいるだろうか?

あまりいないことに気がつくと思う。

最近の話で興味深い話がある。

この間クライアントさんの一人のセミナーが
東京であり、私も出席したのだが、そこで一人の
自称恋愛経験豊富な女性がゲストとして
招かれていたのだが、彼女の発言が興味深かった。

参加者からの質問で、

「一番心に残っているデートは?」

というのがあったのだが、
この質問に対する彼女の答えが
アンドロメダ級にぶっ飛ぶ答えだった。

「静岡の高級ホテルの最高級の部屋で
部屋がゴージャスで眺めがキレイだった時」

と、無表情で彼女は答えていたのだ。

私は聞いていて、”一瞬冗談かと”
本気で疑ったほどだ。

彼女は若い少女ではない、もうすぐ
齢30に到達しようとしていた年齢であった、

それが、高級ホテルである。

最高のデートが、高級ホテルである。

彼女は現代女性の例に漏れず、
「男尊女卑の男子は絶対イヤ」
と口酸っぱく連呼していた。

それで、自称1000人の男と
交わってきたそうだが、
結果が高級ホテル、である。

私は失礼な言い方に
なってしまうかもしれないが、

「かわいそうだ」

と感じだ。すごく。深く。

おそらく、本気で男性に
惚れ込んだことがないんだろう、
とも感じてしまった。

そしてその事をまるで恥じていない、
気づいてもいない、それが、
当たり前に感じてしまっている、
彼女を、とても「憐れ」に思った。

男尊女卑反対。

そう言ってる女性はみな、
どこか表情がぎこちない。

自然ではない。

強がってる間に、
色々なものを失ってしまう。

その彼女は美人でスタイルもいい。

もっと幸せな甘酸っぱくも
人生の学びになるような恋愛の
経験をたくさん重ねることが
可能だっただろう。

私の愛は高級ホテルで買えますよ、
と堂々と口にすることはなかったはずである。

男女差別なし。
男女同権。

大事なことである。
私も別に反対しているわけではない。

が、違いを受け入れることも、
同時に大切だ。

いくら自らの性に疑問を感じても、
私達は男性に、そして女性に
生まれてしまった。

基本的にはそれを変更することは
不可能である。

「男らしさ」
「女らしさ」

それを見失っている現代の
私達に必要なのは、

ないものねだりをしないこと。

そして、反対側の性が
自分に必要なことを、認めること。

一人で生きようとしない。

2つの性で、支え合って生きていく。

このままフェミニズムの流れが加速して
日本人の価値観として完全に強固なものとして、
形成されていってしまうのが、恐ろしい。

結婚しない男女がスタンダードになり、
高級ホテルで満たされる愛のように、
愛をカネで買う時代に本格的に突入すると、
悲しい。

将来、私の子どもが最高のデートは、と聞かれて、

「高級ホテルでシャンパン!」

とか語るようなことがあったら、、、

悪夢である。

そこらじゅうで(特に女性から)
バッシングを受けるが、それでも
このようなことを私が主張し続けるのは、
そのためである。

未来の息子、娘のためである。

男性が一番幸福を感じるのは、
男らしく生きれてる、と感じる時。

女性が一番幸福感を感じるのは、
女らしく生きれてると、笑える時。

「男は男らしく、女は女らしく」

昭和の考えと罵られても、

私は死ぬまでそう語り続けるだろう。

2019年1月12日土曜日

創造性を磨くには?

創造力、クリエイティビティをつけたい、
そのためにはどうしたらいいか、と良く聞かれる。

私にそのような事を聞く、ということは、
コピーライターはクリエイティブな職業だ
という認識が世間一般にあるのだろう。

彼らは言う。

創造性を磨くために、絵を習おう
と思っているけどどう思うかとか。

楽器を演奏して感受性を磨けば
同時に創造性も磨かれはしないか、とか。

あるいは、

ドラマチックな映画を鑑賞したり、
詩や書道やダンスや日舞や演劇など、
芸術性のあるものに触れれば、
創造力は向上して、斬新なものが
生み出せるようになるのではないか、

そんな感じで私に問う。

問いかけは様々だが、
私の答えはいつもシンプルだ。

「まず全て捨てたら良いですよ。」

とそう答える。

私がセールスレターを書いたり、
チラシを書いたり、広告を書いたり、
何らかのスピーチの台本を書いたり、

そういった創造性のある作業を
行う時、まず、全てゼロにする
ところから始める。

私が文章を書く時、一番イヤなのが、
頭の中がカオス状態になることだ。

常に頭の中はクリアにしておきたい。
そう365日24時間思っている。

私が以前先生から教わった概念で、
頭の中の容量、という話がある。

HDDメモリのように脳にも使える
容量が決まっているという話だ。

また、同時に作業容量というか、
頭の中で色々と整理したりまとめたり、
概念を融合してみたり、分離してみたり、
違う角度から考えてみたりするための、
そういった創造スペースもその脳の
容量内にある、ということがあるらしい。

つまり、脳の容量を雑念や感情や
雑多な情報で埋め尽くしていると、
作業スペースが少量しか取れず、
何かを生み出す力が弱まる、ということなのだ。

だからまずは雑多な情報や
必要のない、関係のない雑念や感情を
ごっそり抜き取って、創造スペースを
確保する必要がある、ということなのである。

いわば絵を書く時、ごちゃごちゃと
落書きだらけの画用紙を前にして、
どれだけクリエイティビティを
発揮しようとしても、たかが知れている。

ちょっと残った狭い白紙に
なんとか頑張って書くしかなくなる。

また、その既に書かれている絵
(既存の情報、過去の価値観)に
無意識の内でも影響されて、その
狭いスペースに書かれた絵も似たような、
面白みのない、斬新性とは程遠い絵になるだろう。

だからまずは、使い古しの画用紙は
全てゴミ箱にポイ捨て、新しい白紙の
上に一から新しく筆を走らせる必要があるのである。

頭の中でも同じことだ。

今までの価値観、既存の情報、
社会の声、日常のイザコザ、
葛藤と不安、家のローンと家賃、
過去のトラウマと倫理観、夢、

一枚の絵を完成させるのに、
不必要な情報を入れたまま、
私達はキャンパスの上に鉛筆を
置こうとする。それをやめるのだ。

全て捨て去る必要もない。
ただ、創造的な作業を行っている時は、
脇にそっと、おいておく必要がある。

そのためには一番良いのが、
全て書き出すことだろう。

今感じていること、今考えていること、
今不安に思っていること、
今ワクワクしていること、

全て書き出す。

それでそれを客観的に見つめる。

それで悩みが全て忘れられるわけではない、
が凄く楽になるのが感じられると思う。

重い荷物を一旦、すっと、
肩から下ろしたように、感じる。

それで文章を書いたり、何か芸術的な作業を
してみた時、あなたはあなたが素晴らしい
独創性をもっていたことを初めて知るだろう。

私達は誰もが素晴らしい創造性を持っている。

ただ、それを発揮できていないだけだ。

全て捨て、
一旦ゼロから始める。

頭の中の作業領域を確保する。

創造性を発揮するために
必要なことは、それだけである。

2019年1月11日金曜日

己の真逆に答えがある。

有名な逸話がある。

一休さんだったか、
仏教か何かの宗教伝だったか、
出典は忘れてしまったが、

端と端を通ると、中庸が分かる、
という話がある。

両極端を通ってみないと、
「ちょうど良い塩梅」が
わからない、という例えだ。

実は私はこの話がかなり好きだ。

要するに、極端に生きるのが
好きなのである。

極端に大食いをしてみたり、
極端に絶食してみたり、

極端に世界中をバッグひとつで
歩いてみたり、極端に
家の中に引きこもって、
ひたすら読書、勉強に没頭したり。

やたらめったら女の子にちょっかいを
出して、遊び歩いていたと思ったら、
修行僧のように真面目な顔をして
仕事をテキパキガンガン終わらせたり。

とにかく理詰めでガミガミと人に
理屈たてて感情論一切抜きで
モラルもゼロで説教した次の日に、

彼女や友人に辛い、寂しい、コワイ、
とやたらと感情的な事を言って
ひたすら泣いたり、
よしよししてもらったり、
慰めてもらったりする。

まるで二重人格者のような、
そんな奇妙な行動のウラには、
この一休さんだったかなんかの
「教え」があるのだ。おそらく。

両極端を実践してみることで、
真ん中が分かる。
ちょうどいいバランスが分かるのだ。

だからいつも自分の中で、
偏っている部分を探している。

ずっと都会に住んでいて、

「田舎暮らしなんて考えられない!」

と数年前の自分は思っていたので
去年、この埼玉の田舎に移住してきた。

日本の学校教育がキライで、
自分の子どもは日本の公教育を
受けさせたくない、と感じていたので、
逆に、教育実習に行って教員免許をとった。

オレはSキャラで人に優しくするのが
どこかむず痒く、自分らしくなく、
なんとなく気持ち悪い感じがする、

と感じていることに最近気がついたので、
最近他人には慰めの言葉をかけたり、
(昔から考えるとありえない)

旅行のお土産をあげたり、
(荷物になるから昔は絶対買わなかった)

人の悩み相談に乗ってあげたりと
(自己責任、というのが口癖だった)

妙に優しくするようにしている。

変な感じだが、これはいい。

両極端、それぞれのいい面、
悪い面が分かるのだ。

それで、人間関係で言うと、
厳しくしたほうが良い時、
優しくしたほうが良い時、
がよく分かる。

自己中心的に生きるのも大事だし、
自己犠牲精神も大事。

お互いをうまく使い分けできるようになる。
それで、更に自分が一段階
アップできるようになるのだ。

また、面白いことに、
大体自分に何か悩みがあったり、
問題があったりする時に、

その今、自分が、

「これはこうだろう」

と思っていることと、
真逆の価値観、人生観をもって、
それを演じて生きてみると、

その悩み、問題がいつの間にか
解決していることが多い。

その真逆の先に、答えが見つかるのだ。

これはかなり不思議なのだが、
実感としてある不思議な感触だ。

何か人生に悩みがあったり、
不安があったり、フラストレーションが
ある時、もしかすると、

あなたに必要なことは、
あなたの真逆にあるのかもしれない。

2019年1月10日木曜日

オレの中の「誰か」と不連続存在

私は私。

オレはオレ。

僕は僕。

そんな当たり前のこと。

その「当たり前」が、
最近私の中で疑問点になってきている。

私達が信じている、自分らしさ、
自分の生まれ持った才能、
自分の歴史、記憶、価値観、

そういったものが
本当にあるのか、

少し「アヤシイ」と私は踏んでいる。

時々「誰か」が私の中にいる気がして、
ならない。

妙なスピリチュアルちっくな話に
なってしまって申し訳ない。

が、

とりあえずそんな気分がするのだ。

少なくとも私の身体は、
私の身体を作り出す細胞の一つ一つは、
ずっと生まれた瞬間から、一定ではない。

体中の細胞は数年でほとんど全て
入れ替わる、ということを
聞いたことがあるが、それが正しいとすると、

数年前の私と今の私は肉体面でいうと、
完全に別人というわけだ。

しかしながら、同じ顔、
同じ骨格、同じ体型、同じ瞳をしている。

細胞が入れ替わっても、以前の細胞と
同様の形を作る、ということだ。

この辺のカラクリも興味深い。

何か魂のようなものがあって、

「あ、新しい細胞さん、このように
細胞分裂を繰り返していって、こうなってね。」

と指示を出しているのだろうか?

それとも細胞自体に形状記憶合金のように、
以前の形を記憶するメカニズムがあるのだろうか?

もし、魂が指示を出しているのだとしたら、
その指示をちょっと変えれば、私も
ブラッド・ピットみたいにイケメンになれるのだろうか?

それならかなり嬉しい。

こういう事を考えてみると
不思議で、夜も眠れなくなる。

更に興味深い仮説も考えられる。

細胞が入れ替わっても、
同じ顔、骨格、体型、筋肉を
している、と説明したが、

これも実は間違っているかもしれない。

細胞が入れ替わる毎に、
微妙にちょっとづつ、
私達が私だと思っている身体とは、

別のものに気が付かないウチに
変化させられているのかも、しれない。

老化もこれで説明できるかもしれない。
また、この辺を踏み込んでいけば、
老化のスピードを極端に送らせ、
不老不死への道が開けるかもしれない。

いろいろと書いてきたが、
本当に私が疑問に思っているのは、
実は身体ではない。

心だ。

心が、私達の心が、

実は”ひとりだけのもの”
ではないのではないか、

と最近私は思っている。

自分の中に誰か他の「存在」がいて、
それが私達の心、自我に影響を与えて、
それでひとつの「私の心」というものを
構成しているのではないか、と思っている。

そしてその存在は、年老いた細胞が
若い細胞に入れ替わるように、

大体3年くらいで、
別の存在に入れ替わるのではと思っている。

そしてその「存在」の送り主はおそらく、
地球。あるいは宇宙。あるいは自然。

そんなものを送る理由は、
彼ら(宇宙)が、何かを成し遂げたいからだと思う。

3年毎くらいに存在を変換させるのは、
私達をその目的に沿ったように行動させたい
からではないか?と思う。

変なクレイジーな考えだというのは
重々承知している。

こんな妙な事を考えてばかりいないで、
真面目にコツコツ日々の仕事をこなすほうが
大事だということも痛いほど分かっている。

でも、なんとなく直感で感じるのだ。

オレの中にいる、誰か。
そしてそれは3年くらいの期間限定。

考えてみると、3年くらい前は、
別のもうちょっと違う性格の
「ヤツ」がいた気がする。

今横にいるのは、少しだけ穏やかで、
優しい男、、、が、気を抜くと
一閃のもとに斬り伏せられる、、
そんな容赦の無さも持ち合わせている人物。

そしてそいつはもう来年くらいには、
いなくなる、そんな気がする。

私の中に存在する、変わる存在。

不連続存在。

忌避してはならない。

力を借りるといい。

これは宇宙からのメッセージ。

神様からの忠告だ。

2019年1月9日水曜日

食べる男は成功する

昨日は珍しく母親のオゴリで焼き肉を食べた。

大盛りサラダを4皿くらい、
肉をレバー、カルビ、ハラミ、ロース、タン、
をそれぞれ2~3皿。
キムチ各種とナムルを大量。
あと卵うどん大盛りなどなど。

とにかく腹いっぱい食べた。

焼き肉の理由は、祖母の誕生日で
「たまには皆で集まって」

ということだったそうだが、
そう告げたら私が来ないのは私の母も重々承知で、

それで「食べ物」で釣ったわけである。

実はこの手はよく使われている。

コピーと仕事が生きがいの私にとって、
プライベートの人間関係のカラミは、
基本的にあまり積極的ではない。

だから数年前から私の母親は、
必ずゴハンで釣って私に何かお願い事をしたり、
家族の集まりに参加させようとしている。

そう、私はゴハンに弱い。

美味しいものには目がない。

大体何でも食べる。大量に。

小さい頃は兄から

「意地汚いからやめろ」

と散々罵倒された。

学生時代は、朝ごはんを大量に食べて、
学校に行き、弁当箱2箱を早弁(10時頃)
でぺろりと完食。

昼ごはんは購買部でパンを大量に買って、
放課後は近くの定食屋でおやつタイム。

部活やサークルで時間を過ごした後は、
コンビニに行ってアイス。それから
マックに行って帰るまでポテトやなんやらを
ぱくついていた。

まあ誰でも男性であるなら、
学生時代はそんなものだと思う。

しかし社会人になって、会社では働くようになると、

「ヒマがない」
「お金がない」
「ダイエット」

と称して食事にかける情熱が少なくなる
男性が多いような気がしてならない。

私もこんな仕事をやっているので、
スカイプなどでクライアントのお客さんと
お話させていただく機会も多いのだが、

大体みなさんあまり元気がない。

私が、

「ちゃんと食べていますか?」

と聞いても、

「はあ、朝、菓子パンを少し....」

とかボソボソした声で
のたまわれるから、驚きである。

私の持論で、「食べない男は成功しない」
というものがある。

これは私の先生も仰っていたことだが、
やはり、たくさん食べて栄養を摂取して、
それをエネルギーに変えて、
仕事をバンバンこなす力に変えないといけない。

勿論妙なスナック菓子や添加物まみれの食品は
逆効果を引き起こすだろうが、
とにかく成功するためにエネルギーは必要である。

時として週に一回断食のようなものをしたり、
腸や消化器官を休ませるタイミングは必要だろうが、
基本的には大食いの方の方が元気があるし、はつらつとしているし、
なんとなく接していてPOWERを感じられる。

当然だ。

食物から吸収したエネルギーが漲っていて、
その力を発揮したいと、身体がウズウズしているのだ。

だから元気も出るし、それが脳回路を巡って、
電気信号が高速で走り、素晴らしいアイデアも出る。

そう、だから事務労働者も、
ゴハンをたくさん食べることは必須。

知的労働も結局は身体の運動だ。

やたらと食べる人間は早死する、
という神話もあるが、それも間違いだと私は思う。

その焼き肉パーティーの主賓だった、
私の祖母はもう90近い。

が、相当元気だ。

去年は一緒にオーストラリアに行ったし、
今も毎日色んな集まりに顔を出すため、
日本中を飛び回っている。

そして彼女は相当よく食べる。

昨日の焼き肉屋でもバクバク肉を食べていた。

オーストラリアは私と祖母と、
後18歳の従姉妹と3人で行ったのだが、

朝からムシャムシャばくばく食べる
私と祖母に対して、高校生の従姉妹は

「朝はお腹すかない。。。」

とか言って、紅茶だけをすすっていた。

多分彼女は成功しないだろう。

ではまた。